JCO臨界事故を忘れてはならない
茨城県東海村にある核燃料加工業者JCOで1999年9月30日に起きた国内初の臨界事故から25年がたった。大量の放射線を浴びて2人のJCO社員が亡くなり、周辺住民ら667人が被ばくしたこの事故を忘れないと、同村内で9月29日にJCO臨界事故25周年集会が開催された。集会には、県内外から200人が参加した。
集会主催は、原水爆禁止日本国民会議、茨城平和擁護県民会議、臨界事故を語り継ぐ会、原子力資料情報室、茨城県平和フォーラム、東海第2原発差止訴訟団の6団体で、集会には茨城県内44市町村中、39自治体の首長からメッセージが寄せられた。
集会冒頭では、JCO臨界事故の犠牲者に黙とうをささげ、続いて地元を代表して臨界事故を語り継ぐ会の大泉実成さんが挨拶しました。大泉さんの両親はJCOから約120ⅿしか離れていない場所にあった工場で被曝し、JCO健康被害裁判に至った経過を述べ、母親は事故による心的外傷後ストレス障害(PTSD)で苦しんだが因果関係が認められなかった。「相変わらず国の公式見解ではJCO事故の健康被害者は3人だけだが、被害者はその他にも沢山いた。原子力施設での事故の深刻さや被害者救済の難しさ、何人もの自殺者を出したその残酷さを知ってほしい」と話しました。
主催者挨拶では、原水爆禁止日本国民会議の谷事務局長が「広く社会に対して、私達はJCO臨界事故を決して忘れていない。原子力は危険だということを訴えていくことは重要だ」と訴えました。
学習講演では、JCO臨界事故後の住民健康被害訴訟を担当した伊東良徳弁護士が行い、特別報告は大石光伸さんが東海第二原発差止訴訟の東京高裁の闘いについての報告をしました。
最後に集会アピールでは、現在、再稼働に向けた安全対策の防潮堤の工事不良が起きている東海第2原発について、「日本原電は、再稼働の延期ではなく、ここで再稼働を断念すべきだ」と確認して集会を終了しました。集会終了後は、JR東海駅までデモ行進をしました。